昨年、流産してしまったときの自分は、本当に無邪気だった。今つくづくそう思います。先生の口から「陽性」の言葉を聞いたその週のうちに、両親、義理の両親だけでなく、ちょうど食事会で集まる機会のあった親戚にまで、そのことを報告し、みんながそれはそれは喜んで祝福してくれて。流産が発覚したとき、そのことがさらに自分の気を重くしていました。
この経験から、今回の陽性判定は誰にも話していません。知っているのは、先生と、私達夫婦とこのブログを読んでくださっている方だけ。だからこそ、ブログにいただいた祝福のコメントはありがたかったー。
そんな私たちが、陽性判定後の最初の週末、まっ先に向かった先はお寺。そう、流産の直後にお参りしたお寺です。
手を合わせて祈りました。「ありがとう。戻ってきてくれてありがとう。今回は、どうかお腹のなかで健やかに育ってね。」と。
私達夫婦の次にお参りしていたのは、4人家族でした。中年のご夫婦と、小学生の兄弟。一見、観光のついでに立ち寄ったようにも見えましたが、違いました。兄弟がふたりで、大事そうに風ぐるまをお供えし、それから、4人は家族一緒に手を合わせ、そこで長いことお祈りしていました。
いつもそう。子連れのママや、ファミリーを見ると、絵に描いたような幸せな毎日を過ごしているように想像してしまいます。でも、その家族の横顔を眺めながら、思いました。ひとには傍目からはわからない、いろんな歴史があって、悲しみを乗り越えて、それでも、そのことを決して忘れずに胸に刻んで生きている人もいるんだよなって。
まだ、日々、うるさいほどに体調の変化に一喜一憂し、「去年くらい、ドーンと構えてているほうが良いんじゃないかと思うよ。」と夫に呆れらている毎日です。
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