サクラ咲け!!41歳、妊活リスタート。

稽留流産からの再出発妊活日記。稽留流産の10ヵ月後、2度目の稽留流産を経験しました。スタート地点に出戻ること2回目。歳は42歳になって、再再出発しています。

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母44歳、息子0歳4ヶ月

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もう2018年も終わりですね。皆さん、今年はどんな年でしたか?私と同じように出産した人、育児中の人、不妊治療中の人もいるかもしれない。治療を止めた人もいるかもしれない。私は出産を終えた今でも、これは長い長い夢を見ているんじゃないかと思うことがあります。それほど、治療中の日々が自分の日常になっていたんだと思います。だから、今、治療中の方の日々がとても他人事とは思えません。また、治療を止めた方の決断も、同じように自分が選んでいたかもしれない選択肢だと思うと、誰の歩んでいる道も、自分の道と紙一重だと感じます。

今年、私は44歳になりました。息子は0歳4ヶ月。このブログを始めたときの目標、「流産しても、高齢の自分でも出産まで辿りつけたことを記録して、同じ境遇の人の励みになりたい。」は、励みになれているかどうかはわかりませんが、2018年に達成することができました。2度目の流産のときには、もう書くのを止めようかとも思いましたが、いただいたコメントに励まされ、今日まで継続することができました。励ますつもりが、励まされました。本当にありがとうございました。この先、ブログを続けるかどうかは、まだ決めていません。

治療中は、どの道を進むか、そこに「正解」があるわけじゃないから、私を含め、みんなすごく考えながら悩みながら、真っ暗闇を手探りで歩いているような気持ちになることがあると思います。私が応援してもらったように、私も、これを読んでくださっている方のそれぞれの決断や勇気を心から応援しています。だって、ホントに、どの道も自分が歩んだかもしれない道だから。2019年、皆が歩む道が明るく照らされていくことを心から願います。どうぞよいお年をお迎えください。

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退院

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それは、暑い暑い夏の日でした。産院の玄関を出て、タクシーに乗り込むまでに浴びた久しぶりの日光が、まぁなんて眩しいこと。退院の朝、体温は36.9度のギリギリセーフ。あの日の、まだまだ本調子じゃなくい体調と、ギャンギャン泣いている息子の泣き声、真っ青な空。この先もずっと覚えているような気がします。3日で退院するつもりで入った病院に結局、半月入院してました。半月も入院していると、顔見知りの看護師さんも増えました。自然分娩を試みていたときに16時間立ち会ってくれた助産師さんは、入院中、何度も顔を出してくれました。病状が深刻になってきたときに彼女が話してくれたことがあります。「さんちゃん、大変な状況になっちゃったけど、これって、さんちゃんに限ったことじゃないんですよ。私達は仕事がら、たくさんのお産を見てきていて、なかには本当に悲しい結果になってしまうケースも見てきているんです。でもね、そういうことって、当事者の人は、みんな内に秘めていて、その後、そのことを周りにベラベラと話したりしないじゃないですか。辛ければ、辛いほど、話さない。だから、そういうケースを耳にすることがなくて、みんな現代社会では妊娠さえすれば、当然のように無事に出産するものだと錯覚してる。ほら、流産とかもそうじゃないですか。実は多くの人が流産しているけど、無事に出産できたときしか話さない人が多いでしょ。」って。その通り。自分は2度の流産の経験を、ほとんど人に話していない。これから先も、わざわざ流産の経験や、今回の産後の苦難を人に話すことはないように思う。小さな息子を胸に抱いて、母や夫と病院玄関前で満面の笑みで退院の記念撮影。もし、その姿を見かけた人がいても、笑顔の裏に、2年半の不妊治療、2度の流産、命懸けのお産が隠されているなんて、誰も知る由もない。

 

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まさか自分が、と思ってました。

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感染症を引き起こしている菌を抑えるために、幾度か抗生剤の種類を変更し、10日ほど経った頃、ようやく高熱が微熱に落ち着き、微熱がなくなれば退院して良いと許可がおりました。その頃、病院の責任者の先生が病室を訪ねてきて、こう言いました。「さんちゃん、今回は大変でしたね。何がおこるかわからないのがお産なんですよ。昨今では、妊娠したら、順調に出産するのが当たり前のように思われがちですが、今も○%の人がお産で命を落としているんです。また○%の人は、現在の医療の技術のおかげで助かっている命です。あなたは、そのうちのひとりです。今回の出産、あなた、命をかけましたね。」と。(ごめんない、○%のところ、数字は忘れてしまいました。)ドキッとしました。担当の先生たちに、そこまで深刻に言われていなかったけど、わたし、そんなに大変な病状だったのか、、。で、気になっていたことを訊きました。「先生、それって、私が高齢だったせいですか?」と。先生は、「今は卵子提供もあるから、あなたより、もっと高齢で出産する人もいる時代です。高齢だからって、みんながこうなってはいないですよ。」と答えました。この答えを聞いても、高齢が無関係とは思えませんでした。私の感染症を引き起こしていた菌は、普段はなんの害もない一般的な菌だそうです。お産で身体が弱っていたために、そのなんでもない菌で病気になってしまったと。子供になんの影響もなく生まれたのは奇跡的だったそうです。高齢での妊娠、出産は叶いましたが、それは思いもかけないリスクを伴ったものでした。大声で泣いてる赤ちゃんを見て、心から思いました。赤ちゃんと自分がこうして生きていることが、もうそれだけで奇跡なんだと。
 

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人生初のMRI検査

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自然分娩だったら、退院できたはずの3日が過ぎ、帝王切開でも普通だったら退院できたはずの1週間が過ぎた。入院していた病室の前がナースステーションになっていて、毎日、毎日、退院する患者さんたちがそこへ立ち寄る。そのたびに、扉の向こうから、「ご退院おめでとうございまーす。」という看護師さんたちの明るい声が聞こえてくる。もう耳を塞ぎたかった。「感染症」だということがわかったものの、感染源の菌が特定されない。毎日5種類点滴している抗生物質の種類をいろいろと変えて、先生たちが検討してくれているものの、白血球の数値が下がらないため、体温も下がらない。一向に見えてこない自分の退院日。とうとう、MRI検査まで受けることになった。貧血の値もひどくて、看護師さんに付き添われて、MRI検査室へと向かう。もう出産のための入院の範疇をこえている。MRI、「息を止めてください。」の指示では、死ぬかと思った。息を止める1分が永遠に感じられるほど苦しくて、自分の身体がいかに弱っているかを痛感する。赤ちゃんはとっても元気なのに、自分はまっすぐ歩くことすら、ままならない。日毎、入れ替わる担当の看護師さんのうちの一人に明るく言われた。「こんなに長く入院してる人、初めて見ましたー」。とうとう、とうとう、本当に泣いてしまった。

 

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出産3日後、今後は突然の高熱

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「HELLP症候群」に近いと診断されたものの、本人的には元気なまま、出産後2日が経過しました。「退院は少し先に延びるかもしれません。」と言われたまま迎えた3日目。お腹は痛く、動きも鈍くなっていましたが、後陣痛ってやつか、帝王切開の傷口が痛いのかな、くらいに考えてました。午後、どうも寒くてナースコールで毛布の追加をお願いしました。毛布を持ってきてくれた看護師さんに念のために計測するように言われて、熱を計ってみてびっくり、体温が39度!!「うわーーっ」、この数値みたことで、途端に具合が悪い気がしてきました、笑。看護師さんもびっくりして、すぐ先生に伝えてきますね、となって。バタバタバタバタ。点滴追加。もう、私の身体はどうなってしまったんだ、、。とても心細くなってきたところ、先生から「感染症」と思われる旨が告げられました。不完全な「HELLP症候群」に加えて「感染症」。出産時に羊水が濁ってしまって、洗い流し切れなかった菌が子宮内で感染症を起こしたようだと説明されました。隣で元気に泣いている赤ちゃんをよそに、どんどん具合が悪くなっていく自分が情けなく、泣きたい気持ちになってきました。

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出産翌日に告げられた病名

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明るい光に包まれて、とても穏やかな気持ちで迎えた朝。深刻な顏で看護師さんがやってきた。ニコニコとついていくと、「えっ、さんちゃん、そんなに元気なんですか?歩けないかと思ったんですけど。」と驚く看護師さん。そうね、たしかに帝王切開するとみんなすぐは歩けないとか聞いたことがあるけど、、。それにしても、看護師さんがいやに驚いてる。なんなんだ?麻酔がまだ効いていたのか、気持ちが高揚していたのか、今思い返しても、この時はまだふつうに元気でした。診察室に入ると担当の先生から、術後の血液検査の結果があまりよくないようなことが簡単に説明され、その後、内診がありました。そして、また何度も「身体はなんともないですか?フラフラするとか、お腹がいたいとか?」と訊かれます。「どこも痛くないです、元気です!」とまたニコニコと応えます。子宮に溜まっていた血液の塊を取り除きました、というような説明を受けて、みんなの不思議そうな顔をよそに、またスタスタ歩いて病室に戻りました。続けて病室にやってきたのは、手術の執刀医。「あ、先生、昨日はお世話になりました!」と挨拶したところ、これまた深刻な顔つきの先生。「お身体のことは聞いていますか?不完全ですが、HELLP症候群の症状に近いです。このHELLP症候群というのは、まずHはなんとかかんとかの頭文字で、次のEはなんとかかんとか、でLは、、、」先生が、とても丁寧に説明してくれるのですが、全然頭に入らず、耳に残ったのは、「これはご高齢によるものと思われます。」のひと言だけ。先生が部屋を出て行ったあと、猛烈な勢いで、スマホで「HELLP症候群」を検索。死亡することもあるって、、。噓でしょ、、。先生の「ご高齢によるもの。」のひと言が頭の中をこだまします。

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出産

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「見てあげてください。元気に生まれましたよ。」産声を聞いてからほどなく、看護師さんが、自分の顏のすぐそばに、赤ちゃんを連れてきた。ホッとした。今振り返っても、この瞬間は喜びよりも、深い深い安堵の気持ちが大きかった。不妊治療のクリニックを最初に訪れたのは2015年の夏。それから3年。この間、ずっと何か重たい物を背負ったような気持ちでいた。通院や日々の注射のストレス、先行きの見えない不安、積みあがっていく治療費。その重たい気持ちは流産を経験するたびに、より重たくなっていたのかもしれない。お酒を飲んでも、旅行をしても、友達とおしゃべりしても、いつも頭の隅に治療のことがありました。みんながみんなそうじゃないと思う。きっとこれは自分の性格なんだと思います。妊娠してからでさえ、過去2回の流産を思い出し、赤ちゃん服を用意するのが怖かった。だから、目の前に赤ちゃんが現れて、ようやく肩の荷が下りたようなそんな気持ちになりました。「ここからは、ゆっくりお休みいただくために全身麻酔にしますね。」先生のこの声を聞いてからのひと眠りは、これまでで一番安心しきった心地良い眠りだったように思います。まさかその後、自分の身に思いもよらぬ事態が起きるとは思いもせずに…。

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